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楽しく一人でダンス中。

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藤原優介について本気出して考えてたら
切なくなって時間が流れて、
ただただ幸せになればいいと思ったある日。


…今日もアゲハはフルスロットル!


以下、ネタバレありありな藤原優介考察というか妄想!(…)



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藤原の本質ってどこにあったんだろう。



両親を何かしらの理由で失った時、
彼の年齢は幼稚園から小学校低学年辺りの幼い頃。

身形を見るに上寄りの中流家庭というか、
金持ちの一般家庭って感じがするのですが、
いずれにしても親の死から育った藤原を見る限り、
家庭環境は良しと言えたのではないか。

だからこそ死んでしまったその事実に
哀しさを抱き、恐れを抱えたのではないか。



吹雪さんが藤原について語るシーンで彼は藤原を、
『誰よりも才能に溢れて、誰よりも努力家だ』と言うけれど、
本当は平凡で、だからこそ縋るように強さを求めたのではないか。
『闇の向こうに更なる成長・強さがある』と言っていたと吹雪さんは言うけど、
それは努力家が故にじゃなく、怖かったからじゃないのかなと
今更アゲハは気付いた。



手元のカードは最強で、ならば名実共に最強。
いつまで? いつか誰かに倒されるまで?

努力家で強くて自信に満ちたプレイングの裏にあるのは、
臆病で何も信じられず、いつも疑うからまた何も信じられない
弱くて小さくて寂しがり屋の正直な少年だったんじゃないか?



その限りある『かもしれない』最強の座から転がり落とされることが怖いからこそ、
闇の向こうに、変わらず永遠に続く最強を、強さを求めたのではないか。
そうすると、ダークネス化したあとに彼が悟ったと繰り返す、
『全てが一つに戻ることこそが幸せ』の意味も通ると言うか……。


十人十色、と言う言葉がありますね。
好みや考えと言うのは個性であり、一つたりとも完全に一致するものはない。
大凡の場合、この言葉は良い意味合いで使われます。
十人十色、みんな違って素晴らしい。みたいなね。

藤原はこの言葉が怖かったのかなと。
様々な色の中に混じって、目を滑らせて見失われるのが怖かったのかなと思った。



十人十色です。君たちは同じ青ですが、全て違う青です。
インディゴブルーにディープブルー。
そこに一滴の白を混ぜたものも同じ『青』ですが違う色です。素敵だね。

でも傍目には全て同じ『青』にしか映りません。



それが、
他者と己が一つに扱われること=他者と己は違うと認識されること、が怖くて、
だからこそ、『誰とも同じ色』を求めたのかなと。

そうしていつも恐怖に怯えて突き動かされるがままに頑張り続けた結果が、
天才と呼ばれる特別な地位を築き上げて、
そうしていつも恐怖に怯えて突き動かされるがままに求めた結果が、
闇の世界の向こう側。ダークネスの世界だったのかな。

だから彼は執拗に『一つになればいいよ』と言うし、
誰も傷つかない幸せな世界は暗闇の中にあると謳って止まない。

灯り一つない真っ暗闇では、十人十色も皆同じだから。
その『一つになること=幸せ』こそが、疑念ばかりの彼が初めて信じた思いだから。



あともう一つ着目すべきは『永遠』のワード。

忘れられるのが怖い、時間は記憶を薄れさせる。
ならば永遠が続けばいい、永遠を生きればいい、そうしたら忘れない。

それはつまり、親の死を忘れてしまった己への苛立ちを重ねてるのではないか。


記憶は必ず退化する。
誰より何より大好きな人の記憶も五年や十年で薄れ、
声一つ、仕草一つ思い出すのが困難になる。

忘れないって胸に刻んでも、
脳をそのままに止めておく術はきっと生きていく上に存在しない。


藤原の場合、親の死を見たのが4~9才程度として、
失踪当時は高校一年生(吹雪さん失踪と同時期)、つまり15~16才。
7~12年程度の時間が経っているともなれば、記憶が薄れるのも当然。

しかも彼らがやっているのはカードを用いて脳を働かせるゲーム。
それを日常的にこなせば、当然記憶はどんどん薄れていく。
それが藤原にとっては許せないことで、それが藤原にとっての恐怖の根源なら、
彼が永遠を望む理由は、
『取り戻せない記憶を取り戻したいが、贖罪を受ける時に恐れ、
けれど何もなく生き続けることもまた恐くて仕方ない』からかと思ったり。



オネストを大切に保存した、というのはオネストを特別扱いすると言うのもあるけど、
どっちかっていうと己の存在が証拠としてオネストを保存したのかも。
藤原はそういう…ある意味で卑怯なことも時に見せる弱さがある気がする。


箱を見つけてオネストを見つけた人がいたら、
その誰かは藤原の断片を脳に記憶したということになる。

忘れられることが恐怖なのに
己から付き合いを切る強さは持ち合わせていなさそうな藤原は、
弱さをオネストに閉じこめて、他者の記憶に己を作ったのかなあ。





…ていうか今書いてて思ったんですが、
オネストと藤原って『パンドラの箱』みたいですね。


様々な災厄を閉じこめた箱を少女パンドラは神から授けられました。
ある時、パンドラは開けるなと言われたその箱を好奇心から開けてしまい、
全ての災厄はそこから飛び出して、地を生きるものへ災いを降り注ぎます。
しかし少女が慌てて蓋を閉じた箱の奥底では小さな光が残っていました。

その光は『希望』と言いました。



この少女『パンドラ』は、
ゼウスが怒りから作り上げた『人類最初の女性』です。

ちょっと話変わるんですが、
彼女はプロメテウスという神が
天界から火を持って人間に渡したことに(よって人間が更に神に近付くことを恐れ)
業腹したゼウスが人類に災厄を振りまくためのトラップなのです。

で、プロメテウスの弟に大層アホ扱いされてるのがいて(名前忘れた)(…)
彼はプロメテウスに『ゼウスに騙されんなよ』と言われていたのに
ナチュラルに騙され、美しい少女パンドラと結婚。
そして後にパンドラが箱を開いて災厄が溢れ、ゼウス高笑い。

ざっくり言っちゃうとそういうお話ですパンドラの箱(身も蓋もないな)


で、この話、罰するために災厄を閉ざした箱を
何故「開けるな」と言って少女に預けたかですよ。

理由は、見るなと強く言われると好奇心が反発する。
正にこれに尽きるんだと思います。

だからこそ、隠すものほど本当は見て欲しい・認めて欲しいんだとも思う。
短所を隠すということだって、
本当は認めて欲しいんだけどきっと無理だろうって言う
建前と本音の錯綜が所以の行為だと思うし。

そう考えたら藤原は、あの『箱』にオネストをしまい込むことで、
オネストは勿論だけども己の抱えていたものを見て欲しかったのかな…。
やばいなんか切ない。


で、この『箱』に残ったものが希望だったとかそうじゃなかったとか
色々な説がありますが、ここではアゲハは俄然『希望が残った』説プッシュです。



ああ、でも今書きながら思ったけど、藤原が閉じこめたのは逆だったのかな。


災厄の放たれた世界、箱の中には『希望』がありました。じゃなくて、
災厄だらけの世界がありました、だから箱に『希望』を閉じこめました。
なのかもしれない。


所詮、世界に神様という神様が(明確に目に見えて、という意味で)いるわけもない。
藤原も、オカルト的な部分に惹かれてた反面、
神様と言う漠然とした存在を信じられないから
いつも見えない何かに追われてたわけだし。

ならゼウスがいない、混沌としたこの世界の中で、
彼の唯一の希望になれるのが『オネスト』だったのかな。
いつか手元にその希望が訪れることを願って、カードを閉じこめたのかな。

その希望がやっと彼を迎えに来て、
永遠とか記憶とか、縛られていたもの全てから解き放ったのかな。


願ってしまう。




しかしそう考えるとなんか……オネストが藤原の元に辿り着けたことも
藤原がオネストを忘れてなかったことも、
藤原が元の世界にちゃんと戻って来られたことも、
もう全部が全部素敵で、幸せに思えますねって言うか思えます。
だめだ何か真面目に考えすぎて泣けてきた。


藤原、好きだー!
オネスト、好きだー!
お前らみんな幸せになれー!




みんなが卒業しても多分吹雪さんはDAいるような気もするし(!)、
たまにしか来ないかもだけど面倒見のいい銀髪のプロもいるし、
面倒見良すぎて一目惚れされるかもしれない乙女な子もいるし!笑

とにかく藤原、お前、学生生活死ぬほど謳歌しろ!
飽きるほど謳歌して、もういらねーよってくらい謳歌して、
死にたいくらい笑って楽しめ!
友達100人どころかTFみたいに400人くらい作って、恋もして、
たまに泣いて忘れるためにみんなで馬鹿騒ぎして、
たまにほんのちょっとの不安を抱えてオネストと話したりしてさ!

頑張った子は頑張ってきた分の倍くらい、幸せになって然るべきなんだよ!





藤原について真面目に一晩考えたらこんな妄想ばっかでしたずびび。

以上、現状頑張って行き着いた、アゲハなりの『藤原優介』でした。



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